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野田英樹-Hideki Noda-

・ 生年月日:1969年(昭和44年)3月7日
・ 出身地:大阪府
・ 身長:170cm
・ 体重:60kg
・ 血液型:Rh+O

戦歴

1982年 カート・レースにデビュー、関西カート・ランド・シリーズJクラスチャンピオン獲得。
1983年 全日本ナショナルA-1 クラス・チャンピオン獲得(カート)。
1985年 全日本A-1クラス西地区チャンピオン獲得(カート)。
1986年 全日本A-2クラス・チャンピオン獲得(カート)。
1987年 自動車免許取得と同時にフォーミュラ・レースにデビュー。 FJ-1600クラス15戦に参加/ポールポジション-9、ラップ・レコード-3、優勝-4、新人賞受賞。
1988年 全日本F-3選手権に参戦。2位-1、3位-1、非公式ラップ・レコード-1。 マカオのインターナショナルF-3レースに参加/1レグ:8位、2レグ:メカニカル・トラブルにより出走できず。F-1日本GPのサポート・レースで2位入賞。
1989年 中嶋悟氏の援助によって渡欧し、フォーミュラ・ヴォクソール・ロータス・ヨーロッパ選手権に参戦/ポールポジション-2、ラップ・レコード-3、優勝-1、入賞-7、選手権-5位。JMSアワードを受賞。
1990年 イギリスF-3選手権に参戦(アラン・ドッキング・レーシング)。入賞-4、選手権-14位。
1991年 イギリスF-3選手権に参戦(アラン・ドッキング・レーシング)。ナンバー1ドライバーとして、アラン・ドッキング・レーシングと2年目の契約/優勝-1、選手権-7位/日本国外のシングル・シーター国際レースで優勝した初の日本人となる。 エイボン・ファーステスト・ラップ・アワードを受賞。
1992年 インターナショナルF-3000選手権全戦に参戦(チーム3001)。シーズンを通して同選手権に参戦した初の日本人ドライバーとなる。
1993年 インターナショナルF-3000選手権全戦に参戦(チーム・トムス)。 全日本F-3000選手権の2戦にも参加。
1994年 インターナショナルF-3000選手権全戦に参戦(フォルティ・コルセ)。3位-1(第4戦/エンナ)、5位-1、選手権-9位/インターナショナルF-3000選手権において表彰台に立った初の日本人ドライバーとなる。 ヘレス(スペイン)、鈴鹿、アデレイド(オーストラリア)の3つのF-1グランプリにラルースより参加。
1996年 アメリカに活動拠点を移し、インディ・ライツ・チャンピオンシップ全戦に参戦(インディ・リージェンシー・レーシング)。トロントで開催された第9戦で3位に入賞し、インディ・ライツ・チャンピオンシップにおいて表彰台に立った初の日本人となる。
1997年 インディ・ライツ・チャンピオンシップ全戦に参戦(インディ・リージェンシー・レーシング)。ポートランドで開催された第8戦で優勝し、インディ・ライツ・チャンピオンシップにおいて優勝した初の日本人となる(選手権9位)。
1998年 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン、全日本GT選手権に全戦参戦(チームセルモ)。菅生で開催されたフォーミュラ・ニッポン第6戦で3位入賞。第8戦でポールポジション獲得。ファーステスト・ラップ2回。同じく菅生で開催された全日本GT選手権第7戦で3位入賞。
1999年 全日本選手権フォーミュラ・ニッポンに星野一義率いるビブライズ・インパルより、全日本GT選手権にトヨタワークスのチーム・ルマンより参戦。全日本GT 選手権第5戦(富士)で総合優勝。ポールポジション1回、ファーステスト・ラップ2回。全日本選手権フォーミュラ・ニッポン第8戦で2位入賞。ファーステスト・ラップ1回。
2000年 全日本選手権フォーミュラ・ニッポンにチーム・ルマンより全戦参戦。第3戦で3位、第5戦で2位、第7戦で5位、第8戦で6位、ファーステストラップ 1回。シリーズランキング5位。 全日本GT選手権にトヨタワークスのチーム・ルマンより全戦参戦。第1戦・第2戦・第3戦・第5戦・第6戦に入賞。シリーズランキング6位。
2001年 全日本選手権フォーミュラ・ニッポンにドコモ・チーム・ダンディライアンより全戦参戦。 全日本GT選手権にトヨタワークスのチーム・ルマンより全戦参戦。第2戦富士、セパンラウンドで優勝。第4戦富士で3位に、第3戦菅生では5位に入賞。
2002年 アメリカ最高峰フォーミュラカーレース IRL(インディ・レーシング・リーグ)に開幕からの3戦をコンバージェント・レーシング、後半3戦をインディリージェンシーレーシングより参戦。第2戦PHOENIX戦で10位入賞。
2003年 自らのチーム「Team MOHN」を立ち上げ、全日本選手権フォーミュラ・ニッポンに全戦参戦。第1戦6位入賞。
2004年 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン参戦
2005年 全日本選手権フォーミュラニッポン参戦。 A1グランプリメインドライバー参戦。第2戦ドイツで第1レース10位、第2レース9位入賞。
2006年 全日本スポーツカー耐久選手権シリーズ『ジャパン・ルマン・チャレンジ』にヒトツヤマレーシングより参戦。第3戦総合4位、クラス2位。全戦でポールポジションおよびベストラップ(ファステストラップ)獲得。ルマンシリーズ第3戦ニュルブルクリンク(ドイツ)、第4戦ドニントン(イギリス)にZytekワークスドライバーとして参戦。第3戦7位。
2007年 全日本スポーツカー耐久選手権シリーズ『ジャパン・ルマン・チャレンジ』にHITOTSUYAMA RACINGより参戦。第1戦菅生、第2戦富士・第3戦もてぎで総合優勝。同シリーズチャンピオン獲得。
2008年 世界3大レース ルマン24時間耐久レースに、KRUSE SCHILLER MOTORSPORTの エースドライバーとして参戦決定。 世界最高峰の耐久レース ルマンシリーズにKRUSE SCHILLER MOTORSPORTのエースドライバーとして参戦決定。
全チーム契約ドライバーのうち唯一の日本人ドライバー。

1969年、大阪府で生まれる。幼少の頃から遊ぶおもちゃは『手作りの材木の車』や『ミニカー』だったほどの車好きの少年は、中学生のときに母親から与えられた一冊の雑誌に心を奪われた。初めて見る雑誌の中のゴーカート、それが『レーサー 野田英樹』の原点である。

初めてのカートは今まで体験したことのないスピード感と興奮を与え、デビューレースで表彰台に上がるという快挙を達成、みるみるとその頭角を現し全日本のカートチャンピオンにまで登りつめていく。

18歳で免許を取得すると、日本国内のFJ、F3と順当にステップアップを果たす。そして20歳になり、目標を『F-1』に定め、海外で実績を積み上げるべく単身イギリスへと渡る。

フォーミュラオペル、英国F-3での優勝、その後ステップアップした国際F-3000(現在のGP2)でも好成績を残し、25歳にして公約通りF-1ドライバーになったのだ。94年にラルースチームからスペイン・へレス、オーストラリア・アデレード、日本・鈴鹿サーキットで開催された3つのグランプリにスポットで参戦。翌95年にはシムテックと契約を結び、念願のフル参戦が決定していた。ところが、チームの倒産、撤退という不運な出来事に見舞われ、シリーズ参戦を断念せざるを得なくなる。

96年、目標を世界トップレベルの『インディカー』でのチャンピオン獲得に切り替え渡米。まずはインディライツに参戦する。そして2年目となる97年シーズンでは日本人として初優勝を飾る。その後、本来ならばCART、IRLとステップアップを果たし、世界各国のライバル達とトップ争いを繰り広げるはずだったのだが、アメリカという異国の地で十分なスポンサーを獲得することができず、日本に帰国することを決断。しかし、世界で戦うことは決して諦めてはいなかった。

そして2002年、ついにアメリカのトップフォーミュラであるIRLに参戦。資金面や体制面など、満足のできる状態では無かったものの、第2戦フェニックスで10位入賞。しかし資金面の問題からシリーズ参戦することは出来ず、それ以上の結果は残せなかった。

2003年からは日本に戻り、自らのチーム『TEAM MOHN』を立ち上げ国内最高峰のフォーミュラニッポンに参戦を開始。オーナー兼ドライバーとしてチームを率いる。デビューレースとなる開幕戦の鈴鹿で6位入賞を果たす。

レーシングドライバーとして活動を始めて25年という節目の年となる2006年、この年から始まったジャパンルマンチャレンジに参戦。すべてのレースで予選1位、決勝中のファステストラップをマークするなど圧倒的な速さを見せ、シーズン途中ながら本場ヨーロッパのルマン・シリーズに参戦しているZytecワークスチームのドライバーに抜擢される。

翌2007年もジャパンルマンチャレンジに参戦、開幕から3連勝を飾りシリーズチャンピオンに。海外での活動がメインだった事もあり、日本国内の4輪レースでは初めてのタイトル獲得であった。

2008年シーズン、もう一度世界の舞台で日の丸を掲げるためにヨーロッパ・ルマンシリーズへのフル参戦、そして世界3大レースの1つ、ルマン24時間耐久レースにも出場が決定。
目指すのはただ一つ。F1、インディカーで達成できなかった『勝利』を、24時間の過酷なレースで実現させることだけである。