6月14日、世界3大レースの1つ『第76回ルマン24時間耐久レース』がフランスにて行われた。このレースは野田にとって夢にまで見たレースであり、ここで日の丸を揚げる事こそが今の野田の最大の目標である。
『世界一過酷なレース』と呼ばれるルマン24時間は1923年に第1回大会が開催され、現在世界で最も歴史あるレースでもある。過去に多くの自動車メーカーや有名ドライバーたちが参戦してきた。しかし24時間という長い時間を、最高時速300km/hで走り続ける事は容易なことではない。マシンにもドライバーにも多大な負担を掛け続け、思わぬトラブルを引き起こす。事実、過去に参戦した多くの日本人ドライバーで総合優勝を成し遂げたのはわずかに2人。日本の自動車メーカーではマツダだけが表彰台の中央に日の丸を揚げている。
そんな野田のルマン初挑戦も波乱の幕開けとなる。公式予選の2回目、野田のドライブ中にマシントラブルからスピン。マシンはそのまま宙を舞い、回転したままコースに叩きつけられてしまう。予選はこれで赤旗終了、ピット内のモニターには砂煙の中で大破したマシンだけが映し出され、クルーたちは野田の安否を気遣う。まもなく自力でマシンから降りる野田の姿が映るとピットに居合わせた全員が安堵の表情を見せ、野田とマシンの帰りを待つ。戻ってきたマシンは前後ともに激しく破損し、クラッシュの激しさを物語っていた。7回転したマシンはスピンしたところから約200メートル先のグラベルまでパーツを撒き散らしながら飛んでいたのだ。幸いにも野田本人にダメージはなく、レースへの影響はなかった。
6月1日に行われたルマン合同公式テストでは、優勝候補筆頭だったプジョーのワークスチームのマシンが、同じように宙を舞い回転しながらコースに叩きつけられるアクシデントが発生していた。このクラッシュで大破したマシンを修復するのに掛った時間は2週間。『Kruse Schiller Motorsport』のクルーたちはわずか3日でマシンを修復しなければ決勝レースに出ることが出来ず、修復は不可能ではないかと言われていた。それでもクルーは誰一人として諦めることなく、懸命に作業を続けた。
クルー達は3日間徹夜での作業を行い、土曜日のスタート直前に、レースを戦える状態にまで修復したマシンをグリッドにつけた。時間的に不可能と言われたマシンの修復を、クルーたちは諦めることなく作業を続け、見事に完了してみせたのだ。このハードワークをこなしたクルー達に、他の多くのチームから称賛の拍手が沸き起こった。
多くの苦難を乗り越えて、ついに24時間という長く過酷な戦いのスタートラインに立った野田英樹。しかし本当の戦いはここから始まっていく。
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08.07.01
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